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多くの皆さまが既にご存知だと思いますが、サキナの副社長である浅田盾子さんが他界されました。48歳でした。

ご本人からの発表があったのが2月の初めですので、本当にあっという間に逝ってしまいました。

2017年に乳がんで手術され、治療をされながら副社長業務を見事にこなして来られました。もちろんご家庭の事もされながらです。

現場の私達には心配させない様にと一切公表せず、全く病を感じさせなかった姿に元ナースとしては完全に脱帽です。

私もお手洗いで一緒になった時、「浅田さんもウィッグですか?」と訊いてしまいました。抗がん剤で脱毛し、フルウィッグだとも知らずに…。サキナがオーダーメイドウィッグを扱っているので、色んな方にそう訊かれたそうです。

今思えば本当に申し訳ないことを訊いてしまいました。

私は職業柄、勘が鋭い方なので、大体は何かおかしいと分かるのですが、まさか乳がんで治療中とは!全く思いもしませんでした。

気力というか気合いというか、スゴい精神の力で治療を受けておられたのだと思います。お見事!としか言いようがありません。

人は本気で何かに向かっていれば、色々な事を超越出来るのだと思います。

お役目を果たすことが出来るギリギリまで、身体が頑張ってくれて、病気という雰囲気を一切出さないようにしてくれたのでしょう。

2月のビデオレターで拝見した時は「このままいくと命大丈夫かな…」というお姿でしたが、2018年11月のサキナセミナーの時はまだ今まで通りの浅田さんでしたから。

それにしても、奥村会長といい、浅田さんといい、私の大事な仲間のお一人だったマネジャーさんといい、叔父、友人…等々、たくさんの方が「予定外に」亡くなっていきました。

そういう時は、私の中の何かが、「えっ、未だ亡くなる時ではないのに…」と思うのです。

寿命で亡くなる方の場合はそんな感覚はなく、「寿命だから仕方ないよね…」なので、何とも不思議なのです。

 

数年前、それを教えてくれた方がいました。飯田史彦さんです。何かのネット検索から彼のホームページに行き着き、本の中に書いてある事を読んでやっと納得が出来ました。

以下、どなたかのブログからの抜粋です。

飯田先生は、福島大学経営学教授で、生まれ変わりについて書かれた1996年の著書『生きがいの創造』がベストセラーとなりました。

生きがいシリーズとして、本を書かれ、その累計は130万部のベストセラーとなりました。

飯田先生は、無償での講演会で、全国各地を飛び回っていらっしゃいましたが、ご多忙を極め、、2005年12月28日脳内出血で緊急入院され、脳の大手術で一命を取り留めたのでした。

このツインソウルについて書かれた本は、そのときの飯田先生の臨死体験で得た貴重な情報を、記されたものなのです。

では、ツインソウルとその結びつきについて、一部引用、また対話の部分は要約編集して、ご紹介しますね

(ここから、一部引用編集)

『ツインソウル 死にゆく私が体験した奇跡』飯田史彦 2006年

飯田先生の魂は、肉体を抜けだし、まぶしい光輝く魂の世界にいました。

そこで光の存在に、

「充分に学んだか」

「充分に愛したか」

「充分に使命を果たしたか」

と、問いかけられます。

そして、人間として生きる意味と真理を思い出したのでした。

 

→この3つの質問に「いいえ、未だです」と答えると、死なないで生き返ると書かれてありましたので、(実際飯田さんは未だです!と答えて戻ってきています。)

亡くなる方はこの時に「ハイ」と言って、ご本人の納得の元に逝かれるようです。

 

そして次の内容が「予定外の死」についてです。

→脳内出血で臨死体験をして光の存在に出会った飯田さんは 「全ての死に偶然はなく意味はあるのか?」と執拗に問うています。 悲しみに暮れる遺族に 「どのような死も、予定通りに順調なのですよ」 と伝えて、癒しをもたらす上で、このことはとても重大な点であるからです。

光へ問い続けて、ついに飯田さんは 自らが封印していた記憶を思い出します。

「つまり『生まれる前に計画しておいた人生が、 予定通りに順調に展開していき、予定通りの喜怒哀楽を通じて学ぶ』 というだけでは、その範囲の学びだけに、留まってしまうのです。 それに対して、『生まれる前に計画しておいた人生ではあるが、 実際には、自動かく乱システムが強制的に作動し、予定していた出来事が起きなかったり、発生時期がずれてしまったり、予知外の出来事が生じたりすることにより、大いに混乱してしまう』 という体験をする方が、学びの内容や成長度は、 はるかに大きくなることでしょう。 だからこそ、精神宇宙は、 物質宇宙という学びの場の中に、『時間』と『空間』の観念を創造するにあたり、 わざと、『時間のひずみ』と『空間のひずみ』というしくみを、 用意しておいたのです。

そのおかげで、その物質世界で生きる人間の人生にも、 『思わぬ時に、まったく理不尽なことが起きてしまう』 という現象や、 『起きるべき時に、起きるべきことが起きてくれない』 という現象が、少なからず生じてくる、というわけなのです!」

私は、ついに、自らタブーとしていた領域へと、踏み込んでしまいました。 「したがって、人生では、『予定外の死』も、あり得るのです。 その死から、何の意味も感じられないような、 あまりにも悲しく空しい死が・・・・ その死が、それほどまでに悲しく空しいからこそ、 その死にかかわる人々や、その死について知った人々が、 より深く心を揺さぶられ、 より大きな学びを得ることのできるような死が・・・・ そう、その死は、まさに、 『一見すると意味の見出せない死だからこそ、 その死がもたらす深い絶望感、虚無感、喪失感を通じて、 人々に、より大きな学びの機会を与えることが出来る』という、 これ以上ないほどの逆説的な価値を持っているわけです!」

・・・・・・・・ 「ただし、、忘れてはならない、大切なことがあります。 それは、あなたが思い出した『予定外のできごと』は、 すべての魂の人生において生じるわけではなく、 あくまでも、一定レベル以上の学びを積んだ魂の人生でしか、 作動しないことになっている、ということです。」

封印された記憶を思い出したことによって飯田さんは 「すべての死は順調だ」と言えなくなってしまい、そのような死に直面する方に、 今後どのように使命を果たせばいいのでしょうか? と問うと光は 「簡単なことです・・・ ただ、ともに泣き、ともに悲しんで差しあげるのです。 それほど深い悲しみに沈む方には、残念ながら、 あなたの論理的な説明や人生論など、何の効果もありません。 そのような方々を救う方法はただひとつ・・・・ ともに泣き、ともに悲しむことにより、 その御方の、『心の同伴者』になって差し上げることしかないのです」 と教えてくれました。

・・・・・・・・・ その瞬間から、私にとって、 「人生は生まれる前に計画されたものなのか」という、 人生論の基本命題など、まったく無意味な、 どうでもよいことに思えてきました。 どうせ、予定外の支離滅裂なイベントが生じてしまうのであれば、 結局のところ、 「目の前に生じてくる試練に対して、そのつど、 いかなる心がまえで、いかにして的確に対処していくか」 ということ・・・・ 人生とはその繰り返しに尽きるからです。 つまり、人間がなすべきことは、 「いつ、いかなる試練が生じたとしても、 耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、泣きたければ泣き、 すがりたければすがりながら、果敢に挑戦し、 地道な努力によって乗り越えていく」ということしかないのです。 (以上、ツインソウルより)

 

 今回の浅田さんの早すぎる他界に接して、飯田さんのこの話を直ぐに思い出しました。

そう一定レベル以上の学びを積んだ魂の持ち主であれば、予定外の出来事に見舞われ、対応を迫られる事があるというのです。

そのほうが大きな学びや成長に繋がるという理由で。一定レベル以上の学びを積んだ魂であればきっとクリア出来るだろうという事で。

浅田さんのご家族や近しい方はきっと一定レベル以上の学びを積んだ魂の持ち主なのでしょう。そしてサキナで同じ夢・目標・使命に向かって助け合う私達も。

浅田さん、ご安心下さい。あなたの恐らくは『予定外の死』を私達は決して無駄にはしません。

サキナがより多くの人々に愛され、サキナエステマシンを使う美容法が美容の常識となり、一家に1台の普及を遂げ、世の中の方が助け合って、より幸せに生きる事の出来る地球の実現に向けて、しばらく他界から応援して下さいね!

そして生まれ変わったら、もう一度サキナの副社長→社長→会長になって、やり残したことの続きをやって下さい!

待ってます!



ジャンル: 日記 — サラ
1:09 AM  コメント (0)